2007/05/27

COLUMN

最近と言うわけではないが、ぼくはよく相談されることが多い。どういったことかというと、電化製品の使用方法、メンテナンス、故障、購入アドバイスに関することである。

ここのところは購入アドバイスが増えている。なんだかんだいっても景気が良くなっている証拠かもしれない。相談の中で多いのは、買いたいモノ、テレビやデジカメや自転車といった大品目は決まっているのだが、商品が多すぎるのでどれを買えばよいのかわからないといったものだ。

今、持っているものが古くなってきたとか、持っていないので新しく買うなど理由はさまざまだが、共通するものは利用目的がはっきりとしないことである。

デジカメでいえば、部屋の中と外どちらの利用頻度が高いのか、撮った画像(フィルムでないのでぼくは写真とは言いません)をWEBにのせるのかプリントするのかはたまたDVDにして誰かにみせびらかすのか、デザイン、大きさ、そして価格。価格が決まっていれば良いほうである。

皆、それなりに調べているのでそれなりの知識は持っていたりするのだが、意外と思い込みや間違った知識から商品選びをしていたりする。

出発点を間違えば間違った買い物をする。

ならば買ったあとに後悔するのは当たり前である。それも社会勉強、次に同じ失敗はしないなどわけのわからない理論を展開して納得していたりする。

買ったあとに失敗を自慢する。不幸自慢がいたりするが、はっきり言うとビッグウェンズデーなみのバカである。

“こんな感じのものがいい”など、はじめはなんとなくほしい商品の概要は聞くが、薦めるものはそんなことには左右されない。デザイン重視、機能重視、ブランド、金額の4項目、4商品にしぼる。

ぼくは“この4商品の中から選んで”と選ばせる。

顕著な例だが、大手量販店(ヨドバシ、ヤマダ、コジマなど)のおすすめ商品と価格を見てWEBの安いところで購入する。

一見、賢そうな買い方だが、大手量販店の店頭などのおすすめ品Best5など商品をチョイスした、店頭のランキングほどあてにならないものはない。売りたい商品やメーカー利潤が大きなものがランキングに入っているからである。WEBなどのランキングはどうかと言えば怪しいものである。

ランキングに従うなら店員をつかまえて10分ほどあれこれ聞いて買ったほうが同じ買うにしても店員に勧められたもののほうが良い。なぜなら買ったあとで店員に文句をつけることができるからである。怒りを店員に責任転嫁することができるから気をまぎらすことができる。店員にとっては迷惑だろうが、それも商売のうちだ。

ぼくがアドバイスに気をつけることは、どんな風にして使いたいのか(普段の生活の中で)を聞く、あとはカタログスペックとぼくの商品感覚である。

ぼくに頼む時に注意する点といえば、ぼくが欲しいものだった場合は、考えに偏りが生じること、時間がかかることである。

2007/05/21

日曜日はサイクリング:前編

日曜日

ぼくは朝からの晴天におもいたって、都立狭山自然公園までサイクリングに行くことにした。

ぼくはこれまでに狭山自然公園に行ったことがなく、知識といえば村山・多摩貯水池(あとで調べたら多摩湖だった)に隣接した公園で、東村山辺りにあるということと、地図をなんとなくながめていて見つけた

“サイクリング道路があるんだなあ“

ぐらいの知識しか持ちあわせがない。ぼくは自転車を軽く整備すると地図もそこそこに戸締りをした。

”新青梅をのぼっていけば、道路標示が出てるだろう“

と考えて炭酸をぬいたコーラをボトルに入れて出発、時刻はちょうど“1時00分”である。

身支度も万端にいざ新青梅街道へ、片道およそ16kmの新青梅の道のりは、普段ならなんでもないはずだが、いつもと少し様子が違っていた。少し強めの向かい風と好天に恵まれたサンデードライバーであふれていた。

自転車だからといって、簡単には前には進めない程に車道は渋滞の車があふれていた。

渋滞くらいなら「脇をすり抜ければ進めるだろう」との考えのお方もいるだろう。

”でもそうじゃない。”

なぜかと言えば、ぼくもそうだが、渋滞にはまってしまって動くことがかなわない車の横(路側帯)をバイクなどに抜かれるのは我慢がならない、そこで路側帯に車を寄せてバイクの通路をふさいでしまうのである。

ご多分に漏れず路側帯をふさがれしかたなく止まること数えきれず。

とはいえ、おおよそ順調、“140分”府中街道にさしかかった。

地図で見た限りではだいたいこのあたりで曲がるはずと見当をつけて府中街道を下ることにする。迷ったら誰かに聞けば済むことだ。府中街道は道幅はせまいく舗装も悪いがクラクションなどならされることもなく、

“都内だとすでに何度も鳴らされているはず“

走ること数キロ、左手にチラチラと小高い丘のようなものが見え隠れする。

“あれが貯水池か狭山公園に違いない”

とこれまた当たりをつけて適当なところで左に曲がる。
しかし道は住宅地へと伸びて行き止まってしまう。ぼくの目の前には、緑生い茂った丘陵地帯が見えていた。

つづく

2007/05/18

自転車事故:道路整備で安全対策へ 警察庁と国交省:毎日新聞より

“警察はタクシー会社の味方

ぼくは会社までの道のりを自転車で通っている。

去年の9月、会社からの帰り、走行車線を無視して走るタクシーに追い抜き際はねられた。
今は、タクシー会社との裁判の最中であるが、わびるどころか被害者は当方
(タクシー会社)であって、当初「警察に物損で届けが出ている」という。

ぼくがはねられた際に、タクシーの運転手のとった行動はすごいものであった。まず乗客との口裏合わせをその場(タクシーの中)でおこないその後会社へと連絡、次に、ぼくにたいして、

「こちらには自転車が突っ込んできたことを証言する証人がいる」と運転手はのたまうのだ。

警察への連絡どころか、あやまる気がないのである。
警察には、ぼくが携帯で連絡をした。十数分後、自転車に乗った二十代後半と思われる警察官が
1人やってきて、まずタクシー運転手と話をひととおりした後、ぼくを見て

「怪我はたいしたことはないようだが救急車は呼びますか?

(この時、おでこの擦り傷と前頭部から少しだけ血が出ていた)ぼくは慈恵第三病院が行きつけ(言い方がへんだが手術や病気のさいはいつも行く)なので、

“自分で直接行きます”

「人身にするか?」を聞かれたので、ぼくは

“人身にする”と答える。

その後人身にした場合相手に刑事罰が科される等説明をされ、実況見分等もなく、聴取は終わったので帰るように促される。僕は少し不安に思い、診断書はどうすればよいかとたずねると、

「電話をします」と連絡先の電話番号と事故の場所、時間等を教えてくれた。

しかし、2日たっても電話が来ないので、思い切って電話をすると、事故の場所日時を聞かれて待つこと数分

物損で処理されています」

ぼくは驚いて、事情を説明すると

物損から人身にするんですね?」

なおも説明して、事故現場に来た方を出してくださいと言う

「名前はわかりますか?

ぼくは名前を聞き忘れていた。
警察は教えてくれるはずはなく”ぼくはだまされたのである”

はなしにならない警察と、慰謝料請求に応じないタクシー会社にだまされたままなのは癪だった。弁護士に相談した。

“警察庁が今国会に提出した道路交通法改正案では、自転車の通行区分について現行の車道通行を原則とし、児童・幼児が運転する場合や車道での通行が危 険な場合は歩道通行を認めるとする。「自転車の安全対策には取り締まりだけでなく通行環境の整備がぜひとも必要」”

青梅街道には、タクシー協会と警察の連盟で自転車の注意義務と無謀な運転に注意しようと言う意味合いのたれ幕がかかっているところがある。タクシーの無謀な運転は誰もが知っているところである、道交法違反などは当たり前の事、だが警察の取締りはとくにはない。タクシーと自転車との接触事故も急速に増えている。

ぼくにはこの幕がタクシー会社と警察の癒着の構図のような気がしてならない。

2007/05/14

COLUMN

オウム真理教の記事を見かけたので、
ぼくの友達Yさんのことについて少しだけ書いておこうと思う。

“オウム真理教の上祐史浩元代表を支持する「上祐派」が7日、団体名を「ひかりの輪」とする新団体を設立した。”200757 読売新聞

ぼくは、宗教というものには存外に無頓着なので、宗教に熱狂する人たちのことがわからない。

では、なぜぼくがこの話題をとりあげたのかと言うと、ぼくの周りにも、宗教によって変わってしまった人がいる。変わってしまったYさんはいいのかもしれないが、宗教を押し売りする友だちと変わってしまったYさんにどうすればわかってもらえるのか?を考えるとき、その矛先は宗教を利用する人達に考えが及んでしまうのである。

Yさんは、仕事がうまくいかず、うつになっていた時期に、知り合いの紹介でその宗教を知ったのだと言う。別にどんな宗教を信心しようとかまわないのだが、親、親族、友人、知人、だれかれかまわずに勧誘するのである。

ぼくのところには
「おはなしがあるねん」と持ちかけられ、“相談か”ときりかえすと
「ううん、はなしだけ」 翌週、仕事帰りに会うことにした。

ぼくは、5年ぶりくらいにあう友達なので、その日はちょっとうれしかったのである。

だが、現実は宗教の勧誘であった。話の内容はさておき、話していくうちに、Yさんに都合の悪いことにはすべて、質問で返すのである。

ぼくは、思った“マニュアルがあるのではないだろうか?”
これを会話と呼ぶことはできない。

ぼくはYさんとの会話に打開策をなんら見出すことができずにいた。Yさんの信ずる宗教の経典を否定する気などはないが、経典と友達を利用する奴らは明確に否定した。

突然怒り出すYさんに、「不幸」だと言われ、ぼくはとても悲しく思えた、信心する前のYさんはせまい考えの人ではなかったのだが、今、ぼくの前にいるYさんは宗教に変質的に固執する人間に成り果ててしまっている。ぼくが何を言っても教義に結び付けてしまう、世の中のすべてのことは教義によって説明ができると断言するほどにである。

ぼくは、楽しそうに話すYさんを見るとそのままで良いのかもしれないと思う。

なにか言わないと後悔しそうだったので、別れ際に一言 “もどってこれるかどうか知らんけど、がけっぷちやぞ。助けが要るんやったら電話しろ”

後からわかったことだが、共通の友人が何人かいる中で、ぼくは最後に勧誘されたのだと言うことを・・・それ以来、Yさんからの連絡はない。

Yさんは被害者であると同時に加害者でもある。騙されるほうも悪いが、いちばん悪い奴は社会秩序をふりかざし利用する奴らだ。 
法律で宗教を過度に守ることはよいとは思わない。

2007/05/12

COLUMN

基本です。

ぼくは木曜日、会社の帰りぎわにこのようなことをお願いされた。

「中国サイトからミッキーのこんなの(アイコン)をとって(ダウンロード)きたら、ページが黄色くなったのでなおしてください」

ぼくは思った、“パソコンのデスクトップをカスタマイズ(変な風に)しないようにと言ったのを忘れたのか”てある。

やってしまったものは仕方がないので、画面を見るとちかちかするくらい黄色くなっていた。
“いつからか?”を聞くと、すでに一週間たつという。
なぜ一週間もこのまま
(黄色い画面にたえていたのか)にしていたのだろうかと思っていると、「あしたには直ると思っていた」「がまんできると思った」と言うのである。

ぼくが気をとりなおしてConfigをみると、それらしいものがインストールされた形跡が残っていたので、確認して消して再起動する。

・・・変化なし。予想はしてたもののショックである。帰りぎわということもあったので、“あした朝になおしますから”と言うと帰宅したのである。

次の日の朝、会社に顔を出すと、くだんのパソコンの前に営業の女の子が座ってなにやらやっていた。気になるのでのぞいてみると、パソコンの画面が直っていたのである。

そして、ぼくをみつけると、「ありがとうございます、直りましたので」そして彼女は嬉々として説明をするのである。説明は分かったが、ぼくは、ちょっとむっとする。

簡単なことだった。

ぼくはここまで、画面のプロパティを確認することを怠っていたのである。考えてみれば“ほっとけば直る”と思っているような女の言うことを信じたのがいけなかった。すべてに疑ってかかるべきだった。なんだか警察の捜査のようである。

ぼくはこの日、機嫌の悪いスタートをきったのである。

2007/05/10

ロストジェネレーション2:朝日新聞より

2535歳のバブル崩壊後の派遣社員やフリーターが多い世代、彼らをロストジェネレーションと呼ぶ。

ぼくらの世代である。

ぼくが子供の頃は、人と人とがずいぶんと近かった。近所には隣組や班長といった看板があり、週に一度はそうじにかり出された子供たちがそうじのあとのおやつに気もそぞろであった。

“起業からはみ出した子やフリーターたちが、人と人のつながりで支え合っている。・・・東京の片隅に、月15万円以下で暮らせる場ができた。“(反乱世代より)

JR高円寺北中通り商店街、高齢化の進む商店街に現れたフリーターが店をひらいた。うわさを聞き一軒。そしてまた一軒。人が人を呼ぶ。商店街は以前とは違ってはいたが確実に町に活気をとりもどしている。受け入れる社会がないなら自分たちでつくってしまえばいい、なければつくる。

しかし、商店街という土壌をつくってきたのはまぎれもなくぼくたちを受け入れてくれた先達たちであって、再構築に成功したといったほうが良いかもしれない。

吉祥寺のように文化をはっしんするような町になってほしいものである。

2007/05/09

ロストジェネレーション1:朝日新聞より

2535歳のバブル崩壊後の派遣社員やフリーターが多い世代、ぼくらをロストジェネレーションと呼ぶ。

ぼくらの世代である。

ぼくが子供の頃は「自分のやりたいことをがんばりなさい」と言われた。それは大人になった今も変わりはない。
ぼくのまわりにはそんな奴らがたくさんいる。

就職難民などと呼ばれたりするが、そんなことはない、探せば仕事はある。自分たちのやりたいことじゃないだけだ。

“情報量と可能性が多過ぎて、どれを拾えばいいのか分からない。みんながフロンティアに向かわなければならない世代は、幸せでもあったけど、不幸でもあった。”(起業世代より)

ぼくはそんな風には考えない。ぼくができることは決まっている。ただ、自分に可能性があるのかないのか分からないから、考えて実行するために少しだけ立ち止まることが多いだけなのだ。

ぼくの父親の若かった頃には、明確な目標があった。結婚して、家を持って、車などステイタスのあるものを持ち、スタイリッシュな生活をする。

そして、父親はぼくに言う。
「俺の心配はいらないから」

そんな風に言える父親はかっこいい。

だから、ぼくらの世代も捨てたもんじゃないって事を見せてやりたい。

COLUMN

25.6℃ 東京での本日2時過ぎの気温である。

ぼくはいつも弁当を持って仕事に行くのだが、今日は外食である。
外食といっても、コンビニでお弁当を買うのである。

ぼくは、元来のんびり屋なので、時間にせかされて食事をするのが嫌いなのである。
だからといって食べるのが遅いわけではない、どちらかというと人より早く食べてしまうくらいである。

自分の都合で早く食べる分には良いのである。

1時間しかない休憩時間でごったがえす食堂やレストランでの昼食には、辟易である。
レストランでは、食べ終わったら出て行けとばかりに食べ終わった皿をさげにくる。
そして、これでもかとばかりにお冷を注ぎに来る、テーブルの上には飲みかけのコーヒーがあるのに・・・

人にせかされて食べるのなぞはもってのほかと考える。

ぼくが子供の頃、父親の仕事についていって、食べさせてもらえる食堂でのご飯は特別におもえた。子供の頃は、何か理由がないと外でご飯を食べることなどできなかったからである。
だが、いつの頃からかそんなことも思わなくなってしまった。

ぼくも、おとなになったものだ。
久々に実家に帰って、父親と一緒に食事をすることにしよう。

2007/05/07

ビジネスイノベーション

失敗があるから新しいものがうまれ、改革もおきる。

しかし、これまで失敗を重ねてきた人を企業は雇いますか?

この問いに対して、誰もが雇わないと答えるでしょう
ぼくなんかは、失敗の内容にもよると考えてしまいがちだが、そうではないのである。

革新的(イノベーション)であることは失敗を恐れずに、実行することによって生まれる。そして、失敗しない為に企業努力をする。この努力とはリスクが高いからといってやらないのではなくてリスクの中にも、成功への路があると考える。

しかるのちに失敗しても次につながるのである。

すこし話はかわるが、googleという企業がある。最近では、YouTubeやダブルクリックの買収で名前がでているが、googleがここまでの成功を収めているのは、企業文化と革新性(googolplex)のおかげである。

同じジーンプールで作業をすることによって常に最新のデータに更新され、データを共有することにより革新的な企業であり続けることができる。まるで新陳代謝のはやい細胞のようである。

その企業文化と革新性の中から多くの実験的プロジェクトが生まれている。しかし一方で優秀なエンジニアがgoogleから他の企業へと流出している。

これは何を暗示しているのだろうか?

マイクロソフトや、アップルコンピューターがそうであったように、会社が頂点を極めた後の衰退をどのように克服するのかが、これからのgoogleの課題のようである。

2007/05/06

ニュースの深層:「構造改革の真実」

「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」の著者で当時、経済再生の司令官だった竹中平蔵氏に聞く! 51()放送

番組を見終わったあとで、ぼくはこんなことを思った。

ぼくも、竹中平蔵の授業をうけてみたい。

話が短く分かりやすい、面白く聞ける。政治の話は大概、堅くて分からないものが大半であるが、竹中平蔵の話は面白い。

なかでも、小泉元首相の話はとても面白く、いまさらながらに政治家だったんだなと感心させられる。熱の入りようも熱く語っている竹中平蔵をみていると、小泉元首相ではなく、小泉純一郎という1人の人格者であって稀代の詐欺師のように思えてくる。

僕として残念だったことは、インタビュー時間が短いということにつきる。

機会があれば、また聞きたいものである。

番組の内容はこんな感じである。

郵政民営が霞ヶ関で否決された、なら民意に聞けばよいということで、郵政解散がおこなわれた。霞ヶ関では本気で解散があるとは思っていなかった。
きっとサプライズだったことだろう。

郵政改革の中で実際に役に立つのは実践で培った人達の知恵であって、学識者の意見ではなかった。自身が学者だから、政策を離れて民間の目で政策を厳しくみるポリシーウォッチが必要なことがわかった。

いかに政策の内容を国民に伝えるかメディアの活用の方法。

小泉政権の仕事
首相は明確な支持と実行力を伴うためのバックアップ
政権はメディアに批判される対象だから、鈍感力が必要
メディアは、どんな案を出しても批判する。
初案は厳しすぎる、
2案は骨抜きだ! そして法案の存在自体を問いただす。

最大の実績は、失われた10年を終わらせたこと。

ニュースの深層evol

2007/05/05

COLUMN

ゴールデンウィークの後半4連休いかがおすごしでしょう。

よしのは、舞浜ユーラシアに行ってきました。

自宅から舞浜ユーラシアまで車で走ること1時間、連休期間中なので、都内はすいすいといけたのですが、環八は意外と混んでいた。

あまり車に乗っているのもなんなので首都高で行くことにした。首都高に乗って20分くらい、途中、道を間違えはしたものの、無事到着! ( 地図は見ないといけません。 )

いざ、お風呂へ!

岩盤浴も良いのですが、今回は、“サウナに効率よく入る”という目的を持っていたので、
( 実は前回ユーラシアに来た時は、湯あたりしまして、せっかくの休養が台無しになってしまったのです。 )

まずは、ひと風呂、軽くシャワーを頭から浴びて、
ミストサウナ
15分、ケロサウナ5分、露天風呂で、日光浴。
シャワーを浴びて、再び、ミストサウナ
15分、ケロサウナ5分、そして露天風呂。

途中、ご飯で一腹。

三度サウナへ、ミスト、ケロ、露天を繰り返して
ラストは、
ミストサウナ
10分、ケロサウナ10分、露天風呂、フィンランドサウナ10分、

帰りに、羽田空港によって、晩ごはん。

そして、第二ターミナル展望デッキでポケモンジェットをみてきました。

展望デッキの、WeST PArk CaFE SKY FOUNTAINでアメリカンメニューを楽しむのもおすすめです。
展望デッキですっかり湯冷めしてしまいましたが、まったりした休日を過ごしています。

9連休をとって、海外旅行などに行かれる方もいると思いますが、連休疲れなどないようにゆっくりしましょう。


2007/05/03

Wisdom:仮想世界の可能性を考える

セカンドライフ
3D仮想世界に自分の分身を作り、仮想世界を冒険したり人との交流を楽しむことができる。島(土地)を持つことや商業活動、芸術活動などもたのしめる。

セカンドライフ内での活動には、特に制限が加えられることもなく自由に行えるためインターネットやセカンドライフに依存した商売はもとより、現実社会にある商売は仮想世界の中でも可能なのである。

そして最大の特徴といえるのは、仮想世界の通過 
L 米国通貨 $ への換金ができる。
セカンドライフ内の仮想ショップで生産、販売した利益が現実社会の利益につながるのである。
つまり詐欺や恐喝などの犯罪、利敵行為もあるということである。

日本語版公開がまたれる中、
日本でも多くの企業、個人が、ビジネスチャンスを求めて、試行錯誤しているようだ。

参加するには一定以上の、パソコン環境も必要になってくるため、ビジネスチャンスを求める人々が期待するような需要があるかどうかは疑問が残るところである。

セカンドライフ

セカンドライフの歩き方



2007/05/01

クローズアップ現代:普及するかバイオ燃料

昨年から穀物市場で異様な値上がりを見せる菜種とトウモロコシ、その背景には何があるのだろう。

バイオ燃料、いまだ日本では聞き慣れない言葉ではあるが、欧米では二酸化炭素削減につながるガソリンに代わる代替燃料として急速に普及してきている。

その普及の背景にはガソリン価格の高騰に対する政治的なもくろみも見え隠れする。
EUではディーゼル車の販売が全体の約
5割に達する程にディーゼル車が普及している。
ディーゼル車の燃料の
10%を菜種などを原料とするバイオディーゼルにとの目標を掲げている。

アメリカではバイオエタノールの使用量を
2014年までに現在の約2倍にするという包括エネルギー法案が成立し、共に原料価格が急騰した。
この価格高騰は思わぬところに影響を及ぼしている。
供給が追いつかなくなり、食用業者との原料の価格競争に至っている。

その影響は日本も免れえない。
菜種はてんぷらなどに使われる食用油の高騰を招き、原料価格の高騰は商品へと添加される。
トウモロコシにいたってはこの
1年余りの間に2倍の価格に高騰している。
トウモロコシの高騰は酪農家など畜産農家を直撃することになった。
菜種は
99%が輸入、トウモロコシは90%がアメリカからの輸入である。

だが価格高騰にはもう一つの背景がある。
インド、中国などの発展による需要高、これにバイオ燃料、異常気象、による供給不足とヘッジファンドによる高騰にあおられる形となった。

この高騰はどこまで波及するのだろうか、日本でのバイオ燃料普及には課題が山積している。