2007/05/14

COLUMN

オウム真理教の記事を見かけたので、
ぼくの友達Yさんのことについて少しだけ書いておこうと思う。

“オウム真理教の上祐史浩元代表を支持する「上祐派」が7日、団体名を「ひかりの輪」とする新団体を設立した。”200757 読売新聞

ぼくは、宗教というものには存外に無頓着なので、宗教に熱狂する人たちのことがわからない。

では、なぜぼくがこの話題をとりあげたのかと言うと、ぼくの周りにも、宗教によって変わってしまった人がいる。変わってしまったYさんはいいのかもしれないが、宗教を押し売りする友だちと変わってしまったYさんにどうすればわかってもらえるのか?を考えるとき、その矛先は宗教を利用する人達に考えが及んでしまうのである。

Yさんは、仕事がうまくいかず、うつになっていた時期に、知り合いの紹介でその宗教を知ったのだと言う。別にどんな宗教を信心しようとかまわないのだが、親、親族、友人、知人、だれかれかまわずに勧誘するのである。

ぼくのところには
「おはなしがあるねん」と持ちかけられ、“相談か”ときりかえすと
「ううん、はなしだけ」 翌週、仕事帰りに会うことにした。

ぼくは、5年ぶりくらいにあう友達なので、その日はちょっとうれしかったのである。

だが、現実は宗教の勧誘であった。話の内容はさておき、話していくうちに、Yさんに都合の悪いことにはすべて、質問で返すのである。

ぼくは、思った“マニュアルがあるのではないだろうか?”
これを会話と呼ぶことはできない。

ぼくはYさんとの会話に打開策をなんら見出すことができずにいた。Yさんの信ずる宗教の経典を否定する気などはないが、経典と友達を利用する奴らは明確に否定した。

突然怒り出すYさんに、「不幸」だと言われ、ぼくはとても悲しく思えた、信心する前のYさんはせまい考えの人ではなかったのだが、今、ぼくの前にいるYさんは宗教に変質的に固執する人間に成り果ててしまっている。ぼくが何を言っても教義に結び付けてしまう、世の中のすべてのことは教義によって説明ができると断言するほどにである。

ぼくは、楽しそうに話すYさんを見るとそのままで良いのかもしれないと思う。

なにか言わないと後悔しそうだったので、別れ際に一言 “もどってこれるかどうか知らんけど、がけっぷちやぞ。助けが要るんやったら電話しろ”

後からわかったことだが、共通の友人が何人かいる中で、ぼくは最後に勧誘されたのだと言うことを・・・それ以来、Yさんからの連絡はない。

Yさんは被害者であると同時に加害者でもある。騙されるほうも悪いが、いちばん悪い奴は社会秩序をふりかざし利用する奴らだ。 
法律で宗教を過度に守ることはよいとは思わない。

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