2007/06/27

COLUMN

めんどうなこと

たまにあることだが、ぼくはごはんを食べるのが嫌になることがある。

忙しい時や、考え事をしている時だが、本当は食べたくないのだが、そんな時に限って、体のことを考えて「まだやることがあるから」とごはんを食べてしまう。

ごはんを食べるとほとんどと言っていいほど、アイデアや、それまで調子よくしていた仕事が進まなくなっていらいらしてしまう。 ぼくにとっては悪循環である。 あの時食べずに終わるまでがんばっていたら苦労はしなかったのにと後悔することがたくさんある。

でも、ぼくは食べずにがんばったことはない。 やっぱり食べてしまうのである。

食べずにすむように食いだめができれば便利なのに、体はぼくの考えより不便なものである。

卒業証書偽造

卒業証書偽造

佐賀大留学生が不正入学 5人が偽造の卒業証書提出

はっきり言って、海外の大学(ぼくの知る限りでは特に中国)に関しては特に疑ってかかる必要がある。

それが大学ならなおさらで、証書を現地の大学に照会して確認することは当たり前である。佐賀大のニュースでは、すでに終了資格を得たものまでいるということだが、果たしてこの程度のものなのだろうか、それとも氷山の一角でさらに多くの偽装者がいるのではと考えてしまう。

専門課程の大学院では発覚しない。 これは、大学卒業後日本にきて、日本語学校で学び大学院へ編入するからだとぼくは考えている。 

この経緯ならば日本語学校で日本語を学んでいるから、(面倒なのと日本の語学学校を卒業しているから大丈夫との勝手な思い込みから)確認はしない。

あとは、本人が持参する卒業証書を見て学部と大学を確認するくらいのものである。 ぼくも社員のビザ手続きの際、聞き取りをおこなうのだが、大学院での内容を明確に説明できない人達は以外に多い。 それが大学のことに及ぶと、あやふやと言ってもよいくらいの珍回答が帰ってきたりもする。

ぼくは中国の方の入管手続き、ビザ取得をすることが多いのだが、そんな中で注意することはやはり卒業証明や技能取得の証明書です。 入管審査では、コピーではなく元本の提出が義務だが、偽造された証明書は一見しただけではわからない。 先日も中国の方の入管手続きに必要な書類を当人に用意してくださいと連絡したところ、卒業証明書はないということなので、卒業証書を送っていただいた。(当人はコピーで事足りると考えていたようだった)

日本の大学では当たり前にある在学証明や卒業証明書がなかったりするのである。(あっても偽造されるだろうから同じだけどね)

なので、信用できるものは、日本政府発行のものだけと考えています。(面倒なことがあっても国がだまされたんだから仕方ないよね。というよくわからない責任転嫁の発想から ・ ・ ・)


2007/06/26

中国、ロストジェネレーション

中国の進歩はめまぐるしいものがある。

かつての日本が欧米先進国に追いつけ追い越せと急速な発展の道をたどったことと重なって見える。 日本は、豊かな生活の代価に深刻な問題に目を瞑って、発展を遂げたのである。 それは、日米開戦前におこなわれた戦局予測で敗戦が予想されたが開戦に踏みだしたときのようである。(これについては多くの意見があるとおもうが、WWⅡ日米開戦に関しては、ぼくはこのように考える)

そして、今の中国は、経済発展のためにあえて多くを犠牲にしているようにみえる。

6/20()のニュースでは、CO2の最大排出国になったことが報じられていた。

農村の高年齢化、過疎化、都市部への人口集中、公害、欧米化による地域文化の喪失。

その先にあるものは何なのだろう。

日本には、子供達の世代に残していけるものなど残らなかった。

中国は後世の人に何を残すのだろう?


今回は、少し乱暴な言い方をしたが、ひとつ付け加えておきたい。ぼくは中国が嫌いなわけではない。 どちらかと言えば、古きよき文化の国としての中国と人は好きである。 ぼくの知る中国は映画やTVの中だけのものかもしれないが、中華街やお茶の入れ方などは、魅力的である。 

九州の発展、人材交流など、これからの中国と日本の関係もさらに変わっていくこと期待している。 

2007/06/23

日曜日はサイクリング:後編

多摩湖へサイクリングに行きました。 ここは西武遊園地の前です。

とは言ってはみたが、遊園の入り口に立ってはみたものの、実につまらない。

それはそうだ、ぼくは遊園に遊びに来たのではなく、ついでに寄ってみただけなのだから。

物見遊山としゃれ込める程、余裕のある性格ではないのが残念だが、男、1人でいる遊園地ほど見ていて悲しいものはない。 などと考えて、遊園沿いを走るモノレールに併走して走る。しばらくすると路面凍結を防止のための加工が路面に・・・・” ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ ” 「半端ない振動が、うががががが」

道路を放棄して歩道を走ることにする。
実はさっきから気にはなっていたのだが、遊園とは反対側、ぼくから見て左にサイクリングロードっぽいものが ・ ・ ・ しかし、歩道への入り口がなかなか見つからない。 しかたがないので、自転車を担いで歩道へと、そこはサイクリングロードだった。

ぼくは、多摩湖沿いを走っていたのである。
「なんとなくそんな気してたんだよな」
道路と違い走りやすい。 さすが、サイクリング用だ。 思わず感心する。

このまま、先に進むのもいいが、遊園の入り口のほうへと戻ることにした。
途中まで戻ると、道は自然と公園の中へと続いていた。
「なるほど、ここをスタートにして周ってみよう」

入り口に止まって、ぬるくなったコーラを一口飲んで、出発。

ぼくは、時折木漏れ日がこばれる中、快調に走った。 ”天気に感謝!”

10分ほどした時、このコースをなれた様子で走る人を見つけた。
「これはもうついていくしかないっしょ」と思い、 ぼくは彼の後をついて走ることにきめた。

ぼくの決断が正しかったことは20分ほどで証明された。
とても快適に多摩湖沿いのサイクリングロードを走っているからである。
道の状態や、コースの曲がり具合など、ここをよく走っているのであろう。 後ろについていて楽に走っていられる。 今日は天気もよく、彼には悪いがよい道案内もいる。

彼の後ろについて、40分ほどだろうか、サイクリングロードから一般道に出て少し走った頃、武蔵大和駅をすぎたところで、ちょっと勾配のある坂道を彼は登りだした。
「・ ・ ・ お そ い ・ ・ ・」 どうしようかと考えた。 

勢いよく彼を追い越したはよいが、道も知らないで先行して、彼を見失うのはちょっと、と考えていた。

ぼくは、楽に走るほうを選んで、後ろを走った。 ちょっと”へなちょこ”である。
あとで思うのだがきっぱり追い越せばよかったと後悔した。 

なぜか? 坂道は西部遊園地の入口へと登っていくからである。
「ああ、ここにでるのか」
道がわかれば、もう後ろについていることはない、道案内代わりのおいさんは、さっさと追い越して、ぼくのペースで走ることにした。

それにさっきは後ろについていたので、寄り道することができないでいた、実はちょっと止まってみたいところがあるのだ。

西武球場前をすぎてしばらく行くと、多摩湖の湖面を望める橋があるのが見えた。

そこで止まって、写真を撮ろうと考えていた。

走ること数分、目的の橋へ、10分ほど休憩にする。
自転車を欄干に寄せて休憩する。 イスほどの高さのあるコンクリに座っていると、橋の向こうからやってこられた中のよい老夫婦が、ぼくの横に腰掛けて、多摩湖を眺めていた。

横に座っているぼくまでのんびりとした気分を味わうことができた。
時計は16時をすぎていたので、一周して帰ることにする。 
少しかげったサイクリングロードは、のんびりと走るには気持ちがよかった。

帰り道は、もと来た道を帰るのもなんなので、武蔵大和駅近くのそば巴屋の前にいた人達に、新青梅街道までの道を教えてもらった。

教えていただいた道は、抜け道らしく街道まで10分足らずだった。

「なんだこんなに近かったのか」 来るときはずいぶんと遠回りをしたんだ。 やっぱり地図はちゃんと見ないとな。 家に帰り着いたのは18時過ぎだった。

帰ったらシャワーを浴びてのんびりとした。 おわり


2007/06/22

温泉

6月19・20日、仕事を休み、温泉へ行くことにした。

と偉そうに言ってはみたが、栃木県那須にある茶臼岳と朝日岳の間にある峠の茶屋跡までハイキングに誘われたので、ついでに温泉につかろうと言うだけのことである。

温泉はついでなのである。 もうひとつ付け加えるならば、ぼくもついでである。 何がついでかと言うと、ぼくはついでに誘われたのである。

誘われた時、ぼくは気のない風で返事をしていたが、実は当日が待ち遠しかった。
どれくらいかと言うと、前の日はあまり眠ることができずに、当日は寝不足で目の下にクマがうっすらとできるほどにである。

ぼくは温泉に行くのは東京に出てきてからは、はじめてであるから、もうかれこれ10年ぶりくらいである。
実に長い間である。

明日は朝、電車に乗って待ち合わせの宇都宮駅へと向かわなければならないのに、眠りについたのはすでに時計は夜中の2時をまわっていた。
ぼくは、宇都宮駅10時集合ということもあって、油断していた。 何が油断なのか? ハイキングと温泉なので、荷物の用意などは朝、起きてからでも間に合うだろうと考えていたのである。

しかし、そのことは、大きな誤算だったのである。
ぼくは当日、寝坊することになったからだ。
夜、眠れなかったせいで、朝、目覚ましがなってもおきることができず、ぼくが、目を覚ましたのは7:30分すぎのこと、着替えと洗面を済ませると、かばんに翌日の着替えと洗面道具、ビデオカメラをいれて、家をでた。

歩くこと10数分、急ぎ西武新宿線石神井公園駅についた。
予定より15分送れ。 
この時、予定していた湘南新宿線には乗るには絶望的な時間になっていた。

あわててもしかたがない、と言うより、どうしようもないので、乗れる電車に乗っていくことに ・ ・ ・
池袋につくとつごうよく湘南新宿ライン宇都宮線に乗り継げた。
電車というものはつくづくうまくできている。

通勤時間なだけあって座ることができなかったのは残念だが、始めて乗る湘南新宿ライン-JR東北線に都会からの移り行く景色を車窓から楽しむことができた。
世界の車窓からのテーマ音楽が頭に浮かんだ。

ちょっと立っているのもつらくなってきた頃、赤羽に到着、席が空いたので、荷物を網棚にのせて、どっかりとイスに座った。 5分ほどで、ほどなくうとうとと睡魔がやってきた、逆らう理由もないので寝ることにした。 次にぼくが目を覚ましたのは自治医大前であった。 自治医大は栃木県下野(シモツケ)市にあり、下野新聞が地元紙である。 広告掲載料金がとても安いのでびっくりした記憶がある。

ぼくが目を覚ましてほどなく、待ち合わせ場所の宇都宮駅へと到着した。7分遅れである。
宇都宮は、餃子の街だと前もって聞かされていたので、ぼくの想像では、駅を出るとさぞかしたくさんの餃子の店が並んでいるのであろうと少なからず期待していたのだが、どうやら考えすぎだった。

思ったほどのことはない。

駅についてトイレに入る。 ぼくが小用をたそうとしたそのとき携帯電話が鳴った。
本日、那須へと案内していただくことになっているO氏からであった。
小用を済ませて、O氏との待ち合わせ場所へと向かう途中の駅構内には土産物屋があって、ご当地キティが売っていた。 キティちゃんはまったく持って働き者である。

待ち合わせ場所に着くと、O氏の車は、違法駐車を取り締まる緑の制服に取り囲まれていたのである。
ぼくはせかされるままに、車に乗り込んだ。

出発。

ぼくは思った、そんなに急ぐこともないのにと ・ ・ ・ ・ 

2007/06/14

このごろのこと ・ ・ ・

ぼくはこのごろ、子供の頃のようにTVをよくみるようになった。

みたいTV番組があるときは必ず家にいるようにしている。何がこんなにもぼくをひきつけるのかはよくわからないけど、家にいるときはTVがついている。パソコンやってても、料理をしてても、風呂に入っててもTVはついている。

たまにうんざりして無音の生活もおくったりはする。

そんなTV番組のお気に入りを紹介します。

LaLa TVで放映している ” THE CLOSER
Story
殺人特捜班のチーフ、ブレンダが事件を解決していくはなし。
ブレンダの事件の解決手法も面白いが予想しない展開と個性的な特捜班の人間味、そして重厚な物語はついついはまってしまいます。

FOXチャンネルの ” HOUSE
Story
米国版 ” ブラックジャック ” と宣伝している。 それは、主人公のDrハウスは優秀なDrで一見無謀と思える治療(Drハウスの論理にのっとった治療)をおこなったりするところからそんな風にとりあげられたのであろう。 そんなことはさておき、ドラマとしては一級品である。 医療系ドラマで言えばERなどなどあるが、それらとは一線を隠すもので、人の生死にかかわる時、患者の文明人としての尊厳など何の役にもたたない。そんなものは治療の邪魔ですらあるという態度がみていてとてもおもしろい。またそういった態度がドラマを次の展開へと持っていくことがよくある。良くも悪くもわかりやすいおすすめのドラマです。

桜蘭高校ホスト部
公式サイト  onTV
俗に言う " ホスト部 " です。
何がおもしろいのかと言うと、ぼくは、子供の頃からこの手の少女まんがに弱いのである。
ぼく個人のしこうとして " おきらくハッピーエンド " なものが好きというところがあって、往々にして、まんがやアニメなどはそうである。 ホスト部もご多分にもれないので、アニメが大丈夫でみたことがない方にはぜひ一度みていただきたいです。

ホントはもっとたくさんあるのですが金田一シリーズ(映画)とか、漱石の”それから”とか銀河鉄道の夜とか、偉人たちとの夏とか、ナンバーズやザ・プラクティスなどなどは、またの機会に・・・では

2007/06/12

福祉は公共事業という観点から

選挙を目前に永田町は、わきにわいている。
年金問題と介護福祉である。

先日、TVであるコメンテーターが、年金問題とそれに連なる詐欺行為と国会議員の不正な所得に比べれば、コムスンの介護福祉の問題など金額的にはたいしたことはない。

たしかにその通りだし、彼らは罪にも問われなければ責任も問われないのである。

このコメンテーターのコメントは同義的には問題はあるが、本題は福祉は国が運営できないから民間に丸投げをしてしまったという無責任極まりないことに問題がある。
民間企業が収益をあげるとこれを締め付けるという時代劇の悪代官なみのことをやったことも、こうした不正に走ってしまった原因の一端である。

そして今回は福祉に話題を絞ってお話しする。

これからコムスンはどうなるのか、ワタミ、セントケア、ニチイ学館がコムスンの買取に名乗りを上げているが、どの会社にしても、世間の風評はいかがなものかである。
ワタミに言えば有料老人ホームのみ、セントケアはグループホームと採算の取りやすい事業に名乗りを上げている。対してニチイ学館はグッドウィルグループからの要請があればコムスンのすべての事業を引き受けると打ち出している。
ニチイ学館に関しては介護報酬の過大請求があったとして東京都からの勧告をうけている。

ぼく個人の意見で言えば利潤追求も大事だが、福祉は公共事業なので採算のみで名乗りを上げる業者には事業の移管は認めないと考える。ニチイ学館にしてもワタミにしてもよい話を聞いたことはないが現状をかんがみて、ニチイ学館のこれからの対応に期待したいと考えてしまうのである。

それに規模が大きくなればスケールメリットによって、運営もしやすくなるとも考える。他方で一社独占の心配はあるが、これに関してはこれからの福祉行政に期待するものである。

ぼくは、ここにきて長年の自民一党支配という国会運営の大きな歪が目に見える形で姿を表しはじめたようにおもう。その責任はすべての国会議員がおうべきものだとぼくは考えるが、ぼくらはぼくらの責任を次の選挙で形に現していかねばならない。

コムスン関連ニュース

検証 コムスン商法(上)

検証 コムスン商法(中)

検証 コムスン商法(下)

2007/06/09

疲労?

ばくは先月までちょっと病院に通っていた。

そのさい、足の関節と腰に痛みがあって、肩こりがひどいので、ついでに見てもらった。
レントゲンと、大きなわっかのがついた機械で検査をしてもらったのだが、ぼくの関節と腰椎は50~60才代だと言うのである。そして肩と腰の筋肉のはりは、ぼくの年齢にしてははりすぎると言うのである。

そして診断の結果、ぼくに突きつけられたのは、ランニングやロードバイク腕立てや腹筋など運動の禁止!
特に腰の痛みは、普段の生活に支障が出なくなるまでラジオ体操程度なら良いがそれ以上の運動はダメと言われたのである。

自慢するわけではないが、ぼくは肺炎にかかったときや手術、交通事故にあったときの治療などで運動ができない時をのぞいては、ほとんど毎日と言っていいくらい自転車(最低30km)かランニング(5km以上)をかかした事がなかった。(休日には3倍位になる)

そのことを先生に言うと ”腰とか関節が痛いのにサポーターをしてまでするというのはスポーツ中毒と言ってもいいくらいのものです” と言うのをきっかけに5分ほど、半ば説教と ”無理をすると癖になりますよ” と言うおどし文句のようなことばをつきつけられたのである。

ぼくは疲労がたまったことによるものだとたかをくくっていたので、診断内容にはびっくりだった。

この日以降、ぼくの体を維持することへの欲求と、微妙にだが回復する腰と首の痛み。そして日々われめのなくなっていく腹筋。体を動かすことができないと言うことが、生活のサイクルをここまで狂わすのかと言うことが次々に起きた。

まず、夜更かしをするようになった。
次におなかがゆるくなった。ちょっとした事で、すぐおなかが痛くなるのである。
朝起きが苦手になった。

そして着実に回復する体力は、以前のように体に付きまとっていた疲労感を払拭していった。

運動禁止から約半年、少しずつ運動量を増やし、先月にはようやく以前の半分までの運動量に持ってきた。
ぼくは、これからは体の使い方を良く考えた運動方法を身につけていかなければならないのだなあという思いとこれから年をとっていく上での体力維持の方法はちゃんと考えようといまさらながらに思っている。

でも本当はもっと走りたいしデュアスロンやハーフマラソンにも出たいんです。

なかなかにむずかしいものです。

2007/06/08

介護不正、どうなるコムスン

いま、介護不正により介護事業を揺るがしているのが、介護事業最大手のコムスンだ。

法に抵触しなければその行為が社会倫理に劣るとしても許されるのだろうか?

この 2、3日紙面をにぎわせている24時間在宅介護をうたっているコムスン。
ケアカレッジでのお礼奉公や経費削減による人員削減問題、介護報酬の不正請求と以前から何かと問題が多い、東京都福祉保険局からの監査を発端にしたコムスンの一連の介護保険法違反は厚生労働省からの指定訪問介護事業所約1600カ所について来年4月以降の指定の更新を打ち切るという重い処分により、現在介護を必要とされている人達への対応に注目が移った。

しかし、翌日からは意外な展開を見せた。

東京、岡山での指定取り消しを逃れるために自ら廃止届けを出した処分逃れに続き、厚生労働省からの指定取り消しを受け、今度はグッドウィルグループ内別会社、日本シルバーサービスへの事業譲渡を打ち出した。

利益優先の企業体質がここに来てあからさまになった格好だ。
介護事業は金になる。 競合他社に先駆けて拠点を増やし利益をあげるための手段を選ばないやり口には介護を食い物にする人々はもとより、業界全体の体質と介護行政のありかたが問われなければならない。

以下は、コムスン関連記事

コムスン、譲渡凍結も 厚労省が強く指導

厚労省、コムスン社長聴取へ

改善策示さぬまま看板掛け替え「事業継続」

コムスン処分*介護の不正は許せない

2007/06/06

日曜日はサイクリング:中編

まわりはきれいな家が立ち並ぶ住宅街、道なりに進むとくるっとほぼひとまわりするかたちになってもと来た道へと戻ってしまったのである。

すると、ぼくのほうへと向かってくる初老の男がいたので道を聞いてみることに、

「すみません、狭山公園はどこでしょうか?」

“さやまこうえん?”

ぼくは、ここでとっさに思った

「ご年配の方なんで公園と言ってもわからないんだ」

とおもい、言いかえた

「多摩貯水池です。貯水池・・・」

“そこの森に見えるところの向こうだ”

「どういけばいいんですか?」

“そこ越えていけばいいんだ” と少しめんどそう

「いや、そうでなくて」と思うが、

簡単に越えればよいと言われても道がわからないでは、目的地にたどり着くこともままならない。 

そこでぼくはあらためて聞いた。

「ここから、向こうへ行くのはどう行けばいいんでしょう?」

“そこの突き当たりの道を左に行くと、この先に線路の下をくくる高架があるから高架を越えたら左に行って一つ目の道を右に行けばいい”

と最後の言葉もいい終わらないうちに歩き出していってしまったのである。

この初老の男、終始機嫌が悪かった。おそらくぼくに話しかけられた事がわずらわしかったのであろう。だが、これで道がわかったので、“ありがとう”を言い。急ぐこともないのだが先を急ぐことにした。

結局のところ先ほど左へと曲がったところから100mほど進んだ道路へとまた出てしまった。 さらに道路を下ると左へとゆるやかなカーブをして、先ほど聞いた高架へと出た。

すっかり遠回りをしたことに、

「曲がらずにまっすぐ来ればよかったんだ」

とはからずも思ってしまう。

あの初老の男性が、森と称していたのは狭山公園のとなりにある八国山緑地で、ぼくが教えていただいた道はその外周道路でした。

この時点では、多摩湖へと続く道なのかもわからなかったので、再度道を聞くことにした。
ちょうど、夫婦なかよくウォーキングをしている人を見つけたので聞いてみた。

「あの、狭山公園へはどう行けばよいんでしょうか?」

“この道をまっすぐ行って、突き当りを左へ行くと狭山公園に出ますよ”

と教えてもらったのだが、ぼくは目の前の八国山緑地へと続く坂道が気になったので、

「この坂道を登るとどこに行きますか?」

“ここを行くと住宅街を迂回して、またこの道路へと戻るよ”

「そうか、また同じ道へと出てくるのがわかっているなら、この坂道を行こう」

ぼくは「ありがとう」を言うと、坂道を登った。

八国山緑地沿いを走る道は木に覆われていて人通りもなく、とても気持ちよく走れる道である。ここへは7月のはじめにまた来ようと思った。

それは、梅雨の谷間の天気の良い日には新緑が映えてさぞきれいだろうと思うからだ。

教えていただいた道を走るとほどなく、西武遊園地の看板が見えた。
ぼくは、この時まで西部遊園地の場所を知らなかったのである。

だからとても驚いた。

驚きついでに、西武遊園地のほうへと行ってみることにした。

時間はまだ大丈夫だから。