まわりはきれいな家が立ち並ぶ住宅街、道なりに進むとくるっとほぼひとまわりするかたちになってもと来た道へと戻ってしまったのである。
すると、ぼくのほうへと向かってくる初老の男がいたので道を聞いてみることに、
「すみません、狭山公園はどこでしょうか?」
“さやまこうえん?”
ぼくは、ここでとっさに思った
「ご年配の方なんで公園と言ってもわからないんだ」
とおもい、言いかえた
「多摩貯水池です。貯水池・・・」
“そこの森に見えるところの向こうだ”
「どういけばいいんですか?」
“そこ越えていけばいいんだ” と少しめんどそう
「いや、そうでなくて」と思うが、
簡単に越えればよいと言われても道がわからないでは、目的地にたどり着くこともままならない。
そこでぼくはあらためて聞いた。
「ここから、向こうへ行くのはどう行けばいいんでしょう?」
“そこの突き当たりの道を左に行くと、この先に線路の下をくくる高架があるから高架を越えたら左に行って一つ目の道を右に行けばいい”
と最後の言葉もいい終わらないうちに歩き出していってしまったのである。
この初老の男、終始機嫌が悪かった。おそらくぼくに話しかけられた事がわずらわしかったのであろう。だが、これで道がわかったので、“ありがとう”を言い。急ぐこともないのだが先を急ぐことにした。
結局のところ先ほど左へと曲がったところから100mほど進んだ道路へとまた出てしまった。 さらに道路を下ると左へとゆるやかなカーブをして、先ほど聞いた高架へと出た。
すっかり遠回りをしたことに、
「曲がらずにまっすぐ来ればよかったんだ」
とはからずも思ってしまう。
あの初老の男性が、森と称していたのは狭山公園のとなりにある八国山緑地で、ぼくが教えていただいた道はその外周道路でした。
この時点では、多摩湖へと続く道なのかもわからなかったので、再度道を聞くことにした。
ちょうど、夫婦なかよくウォーキングをしている人を見つけたので聞いてみた。
「あの、狭山公園へはどう行けばよいんでしょうか?」
“この道をまっすぐ行って、突き当りを左へ行くと狭山公園に出ますよ”
と教えてもらったのだが、ぼくは目の前の八国山緑地へと続く坂道が気になったので、
「この坂道を登るとどこに行きますか?」
“ここを行くと住宅街を迂回して、またこの道路へと戻るよ”
「そうか、また同じ道へと出てくるのがわかっているなら、この坂道を行こう」
ぼくは「ありがとう」を言うと、坂道を登った。
八国山緑地沿いを走る道は木に覆われていて人通りもなく、とても気持ちよく走れる道である。ここへは7月のはじめにまた来ようと思った。
それは、梅雨の谷間の天気の良い日には新緑が映えてさぞきれいだろうと思うからだ。
教えていただいた道を走るとほどなく、西武遊園地の看板が見えた。
ぼくは、この時まで西部遊園地の場所を知らなかったのである。
だからとても驚いた。
驚きついでに、西武遊園地のほうへと行ってみることにした。
時間はまだ大丈夫だから。
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